自助の精神 spirit of self-help 2004 2 19
数年前だったら、
大企業や投資家からは、景気対策の大合唱が聞こえてきました。
今は、株式市場では、そんな声は、まったく聞かれません。
なぜかというと、
もはや、いかに政府というものは無力かということを、彼らが、理解したからです。
そう、彼らにとって、
政府とは、無力で怠惰な存在であることが、わかってしまったのです。
だから、景気対策を口にする者は、誰もいなくなったのです。
これを、自助の精神と言えば、聞こえがいいのですが、
当然、役に立たない政府ならば、
今の半分の規模にしろという意見が、やがて、出てくるでしょう。
いてもいなくても関係ない大臣が多すぎる。
いてもいなくても関係ない国会議員が多すぎる。
大臣や国会議員を維持するのは、巨額の税金がかかる。
だから、政府の規模を半分にしろという意見です。
やがて、こういう動きが出てくる可能性があります。
「政府」対「大企業と投資家」という対立軸が出てくると思います。
この試合を見ている者は、楽しいかもしれない。
しかし、いつまでも、試合の見学者でいてはいけない。
「大企業と投資家」は、自力で生きていけるかもしれません。
しかし、庶民は、自力で生きていけと言われても、無理な話です。
庶民にとって、政府は必要な存在です。
しかし、今のところ、
政府は、庶民の味方でもなく、「大企業と投資家」の味方でもありません。
政府は、「自分の味方」です。
結果的に、庶民の味方でもなくなっているのです。
自助の精神を、
「大企業と投資家」に言えば、政府は税金ばかりかかるから、
政府自体を縮小しろと言うでしょう。
自助の精神を、
庶民に言えば、自力で生きて行くには無理がありますので、
モラルの低下、無気力が流行するでしょう。
そもそも、政府が、「自助の精神」という言葉を言うべきではないのです。
それは、自分自身を否定することになるのです。
企業のリーダーや、庶民のリーダーが、「自助の精神」と言うのは正しい。